まんが  ぷろふぃーる


誕生




逆子でこの世に誕生
足から生まれてきたんだよ〜ん




生死の境を潜り抜けてきたので
産声はあげなかった。
奥ゆかしい性格だった。
A ̄エ ̄;)


その後も、泣き声はいつも、ほとんど聞こえなかったらしい。

金魚のように、小さく口をパクパクしているので
泣いていることが判ったそうな・・・

このまま成長していたら
さぞ、おとなしい少女であったろうに・・・

残念!






なので、acco幼少のころは極端な虚弱体質。

ご飯は小鳥の餌ほどだった。

自分でも記憶があるが、ご飯の時間がイヤで仕方なかった。

ある日、「ご飯」というものは、日に三度食べるものと知り
非常にショックだったのを憶えている。

・・・どんな子や・・・



お誕生を過ぎても歩かないので

病院へ連れていくと・・・

必ずと言っていいほど、こう診断されるのだった。



また、あるいは・・・・



・・・と、言われるのだった。

良いといわれるDrや病院を求めて、東へ西へ
一家は旅役者一座の如く、巡り歩いた。



その上 accoは



だったので
・・・・





てな診断をするヤブ医・・・

いやその・・・

Drもおいでになったのだった。 



そんなaccoの 
夏の思い出

アタマも重いで




父の故郷の海で・・・

海藻採りに没頭する幼少のacco





案の定

没頭




幼少時
accoの友達 其の一

はだかん坊のキューピーちゃん



病院ばかり通っていたので
遊びといえば、ままごとより
お医者さんごっこ。



そして、冬の誕生日はいつも病気。




あっと言う間に危篤状態。


真夜中の緊急入院など
朝飯前・・・(?)



『主治医の自家用車の中』

うっすらと記憶している風景



あまりにもひ弱だったため

主治医は母にこう言い放ったのだった




昔はな〜んと、野性味にあふれていたんだろ〜・・・

A ̄▽ ̄;)





ところがどっこい、accoは意外とタフだった



最期の望みを叶えてやろうとする両親に

死の淵から、高価なものをねだるわたし・・・

嗚呼・・・「ひ弱」に生まれたということと、神が与えた「運命」は別物


ちなみに「チュワカ」とは、スイカのこと。
この時代に、真冬にスイカがあるわけはなく、
父は東奔西走し、なんとか危篤の娘に
缶詰のスイカを見つけてきてくれたのだった。

うぅ・・・(ノω・、)

でも缶詰の西瓜は不味かった。

うぅ・・(っω・。)っ


ゴメンネ お父さん。





突然ですが、ちょっと余談を・・・



わたしは、非常─────に
少食だった!!



好きで食べるものと言えば・・・

ナスとキュウリの糠漬け

そして・・・・



お腹がすくと

いつも冷蔵庫の横にある、うちの猫、トラのカツブシご飯を食べるのだった。

かと言って、わたし用にカツブシご飯を作ってもらっても食べないのだった。バカか。



基。



蘇り!!




主治医もビックリ!

奇跡(驚異?)の復活を遂げるacco。



かくて、ウナギはわたしの恩人・・・

命の大恩魚となる。




もしも私が ウナギ好きでなかったら、
今 この世に私は存在しなかったかもしれない。






死にかけては生き返る、そんなaccoを支えた
友達 其の二



元祖 服を着たネコ





遊びに飽きると(ネコが…だよ)

洋服を着たまま出て行ってしまう。



ったくもぉ〜・・・迷惑だにゃ〜




よく、近所のおばちゃんが

「お宅の猫、またスカートはいて屋根に上ってまっせ〜」

と、知らせてくれるのだった。

ほんわか、呑気な時代だったな〜




そんな毎日の中で、
何度も三途の川を渡りそこねた私を

なんとか丈夫に育てようと、
一家は大阪を離れ
空気の良い宝塚に引っ越すこととなった。





トラも一緒に引っ越した。





4歳のころのacco

何故か家出ごっこに目覚める。


荷物は大事なオモチャ。
連れはもちろんトラ。

「迷惑だにゃ〜・・・」


acco小学校入学




皆、合うサイズの帽子がなかったらしい。


ただ、皆とは逆で、サイズがなかった。




小学校の間は学校がキライだった。

それまで、ずっと一人で遊んでいたので
集団生活に馴染めなかった・・・
のかも知れない。



そんなaccoも
お姉ちゃんとなり



頭と身体のアンバランスも
かなりマシに。
(下半身はやはり、今でも小さいが)





車椅子には乗っていたが、

だんだんと強い少女に生まれ変わっていくのだった。

(周囲は、accoのこういう芽は、最初から持っていたと指摘する。)

 


いよいよ登場。


中学の頃のとーちゃん。
(聞き描き+想像図)


モチロン、この二人はまだ出逢っていない。


上のおませな少女と違い、

おぼこい野球少年だった。
(末っ子の甘えん坊)

野球は強かったらしい。

「長打の○○君」

と、言われていたとか。

一応、4番バッターだったそうな。(自己申告による。)











その頃のわたし・・・






徐々に芽を膨らませ始めるacco。


家族の寝静まった真夜中
夜な夜なマンガ作成に余念がない。

トイレに起きた母が必ず
灯りのともる部屋を覗く。

「早よ寝な、身体こわすよ。」

と、勉強しているものとばかり思い込んで声をかける。


机の上にはいつも
参考書や辞書を小高く積み上げており、
accoはその谷間でマンガを描く。

廊下に物音がしたら、
すぐさまマンガの上に本やノートを被せ
勉強家の自分を演出。

うまくいくと、夜食やおやつが貰える。



障害者を美化したドラマが多いが
実際はたいがい、『フッツー』なのだ。

こんなのが主人公で申し訳ないが、
これぞ、迫真のノンフィクションドラマだ。

・・・・・・・
わたしだけ?






高校生のとーちゃん(想像図)





神戸でも1〜2を競う進学校に通っていたそうだが、

こちらはラグビー 一筋

坊主頭に黒縁眼鏡。

ポジションは司令塔の背番号9番・・・




後に、「【タックルの虫】やってんで」

と、自慢。



んが・・・

「【タックルの鬼】の間違いちゃうん?」


【本の虫】とごっちゃになっているらしかった。

(どこが進学校やったんやろ?)



放電の学生時代



学校の学生寮



京都も山奥の女子寮だったので、

部屋に居ながらにして、大自然を満喫できたのだったっっ!!


部屋を順繰りに出没する来客たち。
うちで見かけた方は、数分後にお隣へ・・・


最後の部屋ではいつも、大歓待を受ける。
(?)



肝心の勉強といえば・・・

動物園通いの1年前半

兎にも角にも、デッサン尽くし



大きな画板は必須・・・



京都の動物園で












オラウータンの子供 「カーコ」と友達に・・・




シッポを上げる素振りをしたら、要注意





初めての裸婦クロッキー授業

車椅子だからと言って最前列にっ!!
(こういうことは、宿命ともいえる。)



平静を装うが、心はちょっとしたパニック





街頭クロッキー



絵に集中できるまで、ちょっと恥ずかしい。。。





そうこうするうち




開花!!



頭には、【必笑】のハチマキ

煙草はハイライト。
酒は剣菱。

お前はオッサンか。








こちらは、学生時代のとーちゃん想像図



ほとんど、授業も受けず
旅から旅の日々。


行く先々で
バイトしながら放浪を続ける。
リュックの中身は、寝袋。







寮をでてから、友達と小さなアパートを借りる

モチロン、電話は 無い。








友達と二人、表通りの公衆電話BOXまで、電話をかけにいく。
(代わりべんたん)

故郷へかけるのは、金や米が途切れかけたとき・・・

なんとま〜  ┐( ̄▽ ̄;)┌






わたしの放電も、いよいよ佳境に。

(ここで私のキリギリスの性格が証明される)








最後の学外展に向けて







そして・・・



無事 卒業





















ニート時代








歌作りに走る








先輩を誘い、発散コンサートを開く

燃えカスに火をつけたかった








キャラのまったく違う二人

選曲もまるで違うが・・・

そこはそこ、

長年の付き合いというキャリアが物を言い、ネタの息はピッタシ


漫才のステージと化す





しかし、アクシデント発生!



先輩の絃が切れる!




青ざめてもふくよか







その時だった



と、名乗り出たお助けマン

先輩の知り合いだった



後の、とーちゃんである。








と遠慮しつつも ふくよか











A ̄エ ̄;)

あ…あんたねぇ…

初対面の人に・・・








♪小っちゃな頃からお人よし〜




かくて・・・

翌年の三月


あれよあれよと言う間に結婚




恥ずかしいので、ちっちゃ〜・・・・く






以後は、ブログ 「ゆるゆる日和」 でね! ( ̄∇ ̄)v

END







おまけ



30年後 ┐( ̄。 ̄;)┌








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